今日は2022年2月25日。まぶしい陽ざしが庭のそこここの生命を照らしている。庭の片隅の梅も七分咲き。控えめで芯の強いその佇まいに憧れて、この家で暮らし始めた。その梅と私の21年の物語を書きたいと思う。
満開の梅を楽しんだ後、うっそうとしてきた枝を剪定したのだが、時期が悪かったか、切ってはいけない枝を切ってしまったか、梅は翌年は花を一つもつけなかった。大いに反省したものの、覆水盆に返らず。翌年もその翌年も、一つの蕾もつけることなく春が過ぎた。それが3年も続くと、本当に酷いことをしてしまったのだと罪の意識が芽生え、知り合いの植木屋さんに相談してみたが「どうしたんでしょうね」と言われるくらいで、なすすべもなく5年が過ぎた。
うちでは毎年、アドベントスパイラルといって、年末に針葉樹を床に敷いて作ったらせんの道を、ろうそくの灯りを頼りに歩く儀式を行っている。私にとっては式の後に針葉樹を庭で燃やし、残った灰を庭にまいて完結する。アドベントの恵みの灰を、5年目からは梅の根元にたっぷりまいてやることにした。新緑の季節には葉は青々と茂り、夏の暑さを忘れさせてくれたが、その後も蕾を見ることなくさらに10年が過ぎた。さすがに「私がこの木の何かを奪ってしまったのだ。花をつけることは、もうないのだ」と重い心持ちになり、贖罪の気持ちでその後も灰をまき続けた。
そして12年目。枝に小さな膨らみを見つけた時は、それが蕾とはにわかには信じられなかった。丸みを帯びていく姿に泣きそうになりながら毎日庭に出て見守った。その年、梅はたくさんの花をつけ、私は長く胸につかえていた錘が取れ、何か赦されたような気持ちになった。
アントロポゾフィーに基づくバイオグラフィーでは、様々な惑星が7年、12年、18年など周期をもって私たちに働きかけると考える。星々に見守られ、12年かけて私を赦してくれた梅は、出会いから21年の今年、これまでにないほどの花を咲かせ、春の寿ぎを告げている。戦いの絶えない地球だけれど、生命の声に耳を傾け時を待てば和解は訪れると梅は教えてくれている。
(vol.7▶八尋 美千代/関西/4期)
※次回は、宮口智恵さん(関西/4期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。