写真の「洗濯物」という詩は、私が人生の節目である第3ムーンノウド(56歳)の頃に好きになった詩です。その少し前から、仕事でも家庭でも一歩引いたところから見守る立場で動いていこうと「手放すこと」をやってきて、今年、還暦を迎えます。
振り返れば心身の成長期、私の両親は厳しすぎることも、身勝手に溺愛することもなく、両親私弟の核家族。高度成長期の右肩上がりの社会の中、可もなく不可もない家庭環境の中で、私は劇的な自分だけのドラマを欲し、物足りなさを感じていました。特に思春期の頃は生意気で、平凡な両親をつまらなく感じ、「私は『当たり前』以上の存在を目指したい!」といきがるような娘でした。
進学、結婚、就職してもそれは変わらず、当時は高き理想を胸にもっているつもりでいたのですが思うようにならず、その行き場のない苛立ちで両親を傷つけ、元夫や子どもたちに自分の不満ばかりの感情をぶつける日々。「私の理想はどこに?」と追い求める中で、バイオグラフィーワークに出会いました。
ワークを重ねる中で、私はこれまでの「いきがっているだけの甚だ醜い自分」に気づかされました。恥ずかしくて情けなくて、胸どころか自己存在までもつぶれそうになって…それでもそこから救い出してくれたのもワークでした。
内なる自分が目覚め、意識的になることを努力しはじめたら、そこに佇み自分の感情が沈静するまで少し待つことを覚えました。信頼できる仲間とのダイアローグでは話すことと聴くことを切り分け、「今この時」に集中することで、相手を知り自分を知り、実りある気づきに導かれることも体感しました。
今だからわかること。
両親は、私がどんなに生意気でも、私が生まれたときの感動と愛情をそのまま絶やすことなく持ち続け、忍耐強く見守って、「平凡で当たり前の日々」の中に私を包んでくれていたのですね。それがいかに大変で尊いことか、私はやっと気づき、人としての出発点に立てた気分です。
子どもや孫たちと向き合う日々の中では、ぶつかることがあれば「これも互いの成長のよい機会」と冷静に受けとめることができるようになったり、「私はもっと自分のことしか考えていなかった。だから今、彼女の背中を撫でてやることをさせてもらえてるんだ」と感謝したり。毎日が現在進行形の学びの連続です。
知るのではなく、体験すること。
日常生活の中で、バイオグラフィーワークをしながら生きること。
それは、
当たり前が当たり前ではなく。
成すではなく、為す。
自分を手放す。
それぞれにカルマを抱えた人生を歩んでいる仲間とのバイオグラフィーワークがなければ、気づくことはできないことでした。
皆さんに、そして、目に見えるもの目に見えないもの、すべてに感謝です。
(vol.16▶藤原 佳子/東海/9期)
※次回は、井神 七子さん(東海/9期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。