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めぐる不思議 親から子へ、子から親へのリレー

 この絵は、実家の前で 幼かった私が、幼稚園バスに乗せられることを拒んで、泣きながら母にすがる場面です。

 

 バイオグラフィーワークを学び始めた頃の私にとって、幼稚園最初の一年間のほとんどを欠席してしまったことは、人生最初の集団生活に馴染めなかったという、人に話したくない思い出でした。

 けれども、複数の方から同じように、「私も幼稚園に馴染まなかった。勝手に一人で帰ってきた」などの体験を聞き、「なんだ、幼稚園が苦手と思ってもよかったのか」という安心感に出会ったのでした。


 他にも、アートワークをして話してみると、子ども時代のちいさな失敗や苦い思い出を今の私は違った視点で受け止められるものだと気が付きます。その大前提には、どんな話でも聞いてもらえる、信頼できる間柄の学びの友を得たことがありました。

 

 実はもう一つ、当時はまだ出会ってなかった意味がこの絵には含まれていました。

 

 今でも実家の前の風景は同じですが、昔満開に咲き乱れていたソメイヨシノも、椎の大木もいつの間にか切られてしまい、存在していません。そしてこの同じ場所で、今度はデイサービスに出かける90歳の母を私が見送るようになりました。「お母さんが帰ってくると、私はもう留守だよ」と説明すると、母は頷き「寂しいねえ」と言いながら私の手を握り、それでも元気に出かけていきます。

 

 幼稚園に見送られ泣いていた私が、半世紀ほど後にデイサービスに行く母の見送りをする。相対する古い時代と現在が鏡のようなこの一場面は、なんて興味深い人生の秘密を表しているのでしょうか。

 

 人がこの世に生まれてきて、何一つ助けを借りなければ出来なかったのに、やがて成長し、自立して何でもやってみようと挑戦の旅に出る。親元を離れ、身体も出来る事も親の世代よりも大きくなるように感じます。そして親は、やがて誰かの助けを借りなければいろいろな事が出来なくなる。

見守り、見守られ、助け、助けられ。親から子へ、子から親へ。

 めぐりめぐる循環はまさしくリレーのようで、人は個人では生きられない、集団として生きていると改めて感じることが増えました。

 

 バイオグラフィーワークと出会い、親のありがたさ、親に恩返しが出来るありがたさ、社会の中で生かされている自分を実感することが出来、こんなあたたかな気持ちが自分を強くしてくれているように感じています。

 

(vol.17▶井神 七子/東海/9期

 

※次回は、鈴木緒子さん(東海/9期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。