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墓地は友だち?

小さい頃の私の最初の記憶は 3歳頃のものだ。私の家は長崎の片田舎にあり、家の前には国道が走っていて、国道を渡った向かいは墓地だった。3歳の私は母が目を離したすきに国道をひとりで渡り、墓地をつっきり、その先にあった誰かの家に上がり込んだ。そこで自分の名を名乗り、ひとしきりおしゃべりして帰ってきたそうだ。私もおぼろげながら、上がり込んだその家の薄暗い感じを覚えている。

 

長崎では、お盆に家族でお墓に行き、子どもたちは花火をする。そのせいか、私にとってお墓は遊び場で、大小の墓石がかくれんぼにもってこいの場所だった。自転車の補助輪がとれたのも、お墓の通路で練習した成果だ。今考えると、ちょっと変。

これは墓石ではなく、今年訪れたスコットランドのルイス島にあるカラニッシュストーンサークル
これは墓石ではなく、今年訪れたスコットランドのルイス島にあるカラニッシュストーンサークル

 

なぜこんなことを思い出しているかというと、今月「宇宙と人間」というテーマで講義を行う機会を頂いたのだが、その内容となんだかリンクすると感じたからだ。その内容というのは、シュタイナーが唱えた「死んでから生まれ変わるまでの宇宙往復とカルマ」についてだ。その準備のために、シュタイナーの講義録を、未邦訳のものも含めかなり広範に読み込んだ。数年前に、私はシュタイナーが死後の惑星滞在について語った講義2つを訳出して『死後の星めぐり〜ホロスコープとは何か』というタイトルで出版しているが、今回の講義内容は「死後の星めぐり完全版」とでも言えるような、情報を大幅に加え、構成し直したものとなった。

 

このテーマに、私は昔からなぜか強く惹かれるのだが、その「死後、宇宙に行って帰ってくる旅」への興味が、3歳の私の「墓地をつっきって知らない人の家に上がり込んで帰ってくる冒険」に象徴されている気がして、ちょっと可笑しくなったのだ。

 

(vol.27▶内村 真澄/関東/4期

※内村さんの著書については、上記のお名前のところをクリックして、会員紹介ページに飛ぶと詳細やリンクを紹介しています。

 

※次回は、林 サオダさん(関東/4期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。