· 

かけがえのない今ここ

 私は、40代初めにその存在を知った自然療法バッチフラワーレメディの実践とプラクティショナーやトレーナーの養成を日本で始めてから27年たちます。英国でトレーニングを受けたプラクティショナーとして、個人のコンサルテーションも30年近く続けています。このフラワーエッセンスを完成した英国人医師エドワード・バッチの哲学は神秘主義の系譜で、私が20歳の時に出会ったスピリチュアルトレーニングに通じる宇宙観があるので、関心をもちました。併走するようにNPO法人日本ホリスティック医学協会(JHMS)に30数年関わってきましたが、人間が全人的な存在であるとの観点がずっと私の関心のもとにあります。30歳の頃、一度近づいても通り過ぎたシュタイナーでしたが、再び出会うことになったのは、ずっと後のことです。

 

 57歳の時、大学生だった次女が21歳の誕生日を待たずにスキルスのがんで逝ってしまいました。辛さを共有して支えてくれた夫と既に嫁いでいた長女に助けられ、私は仕事に打ち込んで忙しくしていましたが、抑うつ状態から抜け出せずにいる自覚がありました。その翌年に日本ホリスティック医学協会で知った、日本で初の国際アントロポゾフィー医学ゼミナール(IPMT)の集中講座に申し込んだのは、ドルナッハから来る小児科医ミヒャエラ・グレックラー医師の講義を聞きたいと思ったからでした。

 しかし、コースが始まってすぐに、私は通訳陣に加わることになり、学んでいる最中の60歳の時に、13歳年上の夫が膵臓がんで旅立ちました。残された私はショックと喪失感がぶり返して、生きるエネルギーがひどく低下し、その年にバイオグラフィーワークを受講し始めました。

クレマチスの花満開のバッチセンターにて
クレマチスの花満開のバッチセンターにて

 

 IPMTの5年間を終えて、64歳の時にドルナッハでの研修に参加できたのは幸運でした。朝もやの中ゲーテアヌムの丘を歩きながら、亡くなった娘と夫の存在をリアルに感じて涙があふれました。他に学んでいた心理療法やバッチフラワーも助けになりましたが、私が生きる熱を取り戻すのに、夫と娘が付き添ってくれたと感じたこの旅は、今も自分の中に生きています。

 

 バイオグラフィーワークを5年間で終えた時には66歳で、さらにバイオグラフィカル・カウンセリングも受講し、英国でのWBCやワークショップにも何度か参加してずっと学び続けています。バイオグラフィーワークを通して、自分の人生を俯瞰でき、新たな意味を知ることは、自分の生きた年月を肯定し、常に前に進んでいく時間の「今ここ」をより大切に、かけがえのないものとして受け止める姿勢を育んでくれます。

 

 70代後半で、第12・七年期に入ったばかりの今、家族や友人や世界の果てですれ違った人たちなど沢山の人との出会いは、自分の人生を豊かなものにしてくれたし、辛く思えたこともすべてが意味あることだったと思えます。老年期になっても、自分の人生が、自分にとっての輝きを失わず、静かに光を放っていると感じられるのは、バイオグラフィーワークのもたらした「ギフト」です。

 

(vol.28▶林 サオダ/関東/4期

 

※次回は、馬場 晶子さん(関東/6期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。